サッカー

飯田 貴敬選手

Takahiro Iida
所属・ポジション
京都サンガF.C. DF
生年月日
1994年8月31日
身長・体重
179cm/70kg

~PLAYERS ALBUM~


 

 

~プレーヤーとしての特徴~


 

ディフェンスラインや中盤のサイドのポジションを主戦場とし、自分自身のプレーの特長については、「前への推進力」や「局面を打開する個の力」、そして「スピードに乗った突破力」などを挙げる。野洲高校在籍時には徹底的にドリブルのトレーニングを積み、ボールコントロールの技術を伸ばすとともに、マッチアップする相手選手との駆け引きを制し、逆を突いてマークを剥がす技術を飛躍的に向上させた。もともと持ち得たアグレッシブなスタイルに高度なスキルを融合させた飯田貴敬は、積極果敢なプレーでピッチ上を躍動しながら、チームの攻撃にアクセントを加える。

 

 

 

 

~アスリートの11 my mind~


 

1.自分の出身地の良いところや思い出の場所

―「筑波山から見えるきれいな景色」

 

僕は茨城県桜川市出身で、実家の近くに筑波山があります。筑波山に登ると、東京や大都市で見られるような夜景とは違った、とてもきれいな景色を見ることができます。今も年末年始は実家に帰り、1月1日に父と2人で筑波山をランニングしながら登るのが恒例となっているんです。頂上まで行き、そこからの眺めや田舎ならではの空気を味わうことで、子どもの頃を思い出し、心身ともにリフレッシュすることができます。

 

 

 

2.どんな子どもだったか?

―「負けん気の強さを子どもの頃から持っていた」

 

やんちゃで負けず嫌いな子どもでした。サッカーでもどんなことでも、負けたら泣いて悔しがるようなタイプで、「何事も負けてはいけない!」という負けん気の強さを当時から持っていました。

茨城県出身ということで、母が鹿島アントラーズファンなんです。その影響で、僕も小さな頃から練習を見学しに行ったり、スタジアムのゴール裏で鹿島を応援するような生活を送っていました。その流れで自然とサッカーをやりたいと思い、小学2年生の時に地元にクラブチームができたので、そのタイミングから本格的に始めました。

 

 

3.子どもの頃になりたかった職業は?

―「プロサッカー選手」

 

初めて持った夢が、鹿島でプロサッカー選手になることでした。子どもの頃は小笠原満男さんと柳沢敦さんがとにかく好きで、2人のTシャツを着て小学校に通っていたくらいです。

小笠原さんとはプロ1年目の時にJ1リーグで対戦したことがあるんです。ずっと憧れていたことは本人には伝えられませんでしたが、とても感動したことを覚えています。

 

 

 

4.今思う、サッカー選手でなかったら、どんな職業についていたか?

―「サッカー以外の競技のアスリート」

 

コロナ禍でアスリートが持つ力の大きさを感じましたし、僕自身も小さな頃にサッカー選手から夢を与えてもらったところがあるので、サッカー選手ではなかったとしても、アスリートとして子どもたちに夢や希望を与えられる存在でいたいなと思います。

サッカー以外の競技を選ぶのであれば、可能性があるのは陸上ではないかと思います。親も陸上で記録を残したことがあるような選手でしたし、僕も小さな頃から走るのが得意だったので、「サッカーではなく陸上の道を歩んでいたら今頃どうなっていたかな?」と思うところがありますね。

 

 

 

5.逆境に陥った時、それを乗り越える方法

―「お世話になった人たちへの感謝の気持ちが力になる」

 

高校進学に際して、親は鹿島のユースへ進むことを望んでいました。でも、中学3年生の時、YouTubeで野洲高校が全国大会で優勝した2005年の動画を見て、直感的に「野洲高校に行きたい!」と思ったんです。

多くの方々に協力してもらい、自分の希望を押し切る形で進学しましたが、野洲高校入学直後に逆境に直面しました。チームには全国からレベルの高い選手が集まっていて、入学したばかりの頃は一番下のチームに振り分けられ、その中でも最もレベルの劣る選手でした。

地元でサッカーをしていた頃は、「うまい、すごい」とチヤホヤされていましたが、野洲高校では何もすることができず、当時は本当に落ち込みました。サッカー部だけでなく学校も辞めて、地元の高校に転校しようと思っていたくらいです。

ただ、1年生の8月、転校する意志を固める直前に、父から「一度、実家に帰ってこい」と声を掛けられました。僕自身が高校を辞めたいと言ったことはないんですが、うまくいっていないことを父は見抜いていたようで、「ここで逃げたらこの先もずっと逃げ続ける人生を送ることになるぞ」と言われました。この言葉が当時の僕にはものすごく響き、「絶対に逃げない!」「野洲高校で絶対にレギュラーをつかむ!」という熱い気持ちを持てるようになったんです。それからは朝4時に起きて練習し、夜も遅くまで家の近くの公園で自主練をするという生活を送り、少しずつ周りのレベルに追いつけていくことができました。

それと同時に、いつも応援してくれている親、野洲高校への進学に協力してくれた先生など、今までお世話になった人たちへの感謝の気持ち、そして恩返しするためにここで結果を残さなければという思いが湧いてきました。これが高校時代の逆境を乗り越えられた要因だと思いますし、今も僕を後押ししてくれる大きな力になっています。

 

 

6.サッカーをしていて、最高の瞬間は?

―「勝利した後の高揚感と幸福感が得られた時」

 

試合に勝ち、普通の生活をしていては味わえないような高揚感と幸福感が得られる瞬間は最高ですね。また、試合中の局面局面で相手の逆を取ったり、思いどおりのプレーができた瞬間にサッカーの面白さを実感することができます。

これまでの中で印象深い試合は、2020シーズンの第3節、徳島ヴォルティス戦です。スコアは1-1だったものの、90分を通じて相手には何もさせず、僕らは狙いどおりのサッカーが展開できたので、個人的にとても記憶に残っています。

 

 

 

7.サッカー以外で自分の中で大事にしていること

―「不機嫌なオーラを家に持って帰らないこと」

 

サッカーがうまくいっていない時や試合に負けた後などに、不機嫌なオーラを家に持って帰らないことを意識しています。妻にはできるだけ笑顔でいてもらいたいですし、練習後も試合後も、車の中で心をフラットな状態に戻してから帰宅するようにしています。

 

 

8.客観的に自分を見た時に、自分はどんな人間だと思うか?

―「マイペースで自己中心的」

 

自分の世界に入り込んだら他のことに興味を持たないタイプの人間だと思います。妻にも「人の話を聞かない」とよく言われます。自分の世界に入って集中すると、声を掛けられても聞こえていないんですよね。だから、妻からは「言ったじゃん!」というセリフを1日1回は言われます(苦笑)。

チームメートからはマイペースだと言われることが多いですね。練習が10時開始だとすると、僕は9時58分くらいにロッカーを出ます。グラウンドに向かって歩いている途中、周りからは「あと2分しかないよ!」と急かされますが、僕は「まだ2分もあるじゃん!」と思うタイプなので、そもそも感覚が違うんですよね。ちなみに、練習には一度も遅刻したことはありません!(笑)

 

 

9.大事にしている言葉

―「ここで逃げたらこの先もずっと逃げ続ける人生を送ることになるぞ」

 

高校1年生の夏、父の口から聞いた言葉は、今でも自分の中で大事にしています。特にうまくいかない時こそ、この言葉を思い出して自分を奮い立たせています。

 

 

10.子どもたちに伝えたいこと

―「プロになることを目指している子どもたちに夢や希望を与えたい」

 

僕自身、小さな頃に鹿島の選手から刺激をもらったように、僕もサッカー選手に憧れを持ち、プロになることを目指している子どもたちに夢や希望を与えたいと思っています。そういった部分をプレー中はもちろん、オフ・ザ・ピッチでも伝えていけたらいいなと思っています。

 

11.UDNでどんな活動をしていきたいか?

―「プロサッカー選手の存在を身近に感じてもらいたい」

 

UDNの活動を通して、プロサッカー選手を目指しているような子どもたちとつながる機会を増やしていきたいと思います。また、僕の地元はそれほどサッカーが盛んな地域ではないのですが、そういった環境でサッカーをしている子どもたちにもプロサッカー選手の存在を身近に感じてもらえるように、さまざまなアプローチをしていきたいです。

 

 

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